たびより日常(仮)

ひとりで毎日ご機嫌に過ごす方法

壁を感じると不機嫌になる人たち

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目次

 

「壁」

かたい。壁がある。壁を感じる。とっつきづらい。

幾度となく言われてきた言葉である。

自分としては、割とだいぶ打ち解けた感覚で接してきた人たちから言われる。

 

「壁を感じる」

そう言われたとき、自己開示をしてみたりするのだけれど、

それでもなお固いと言われてしまう。

そう言わなくても、不満げである。

それぞれ別の人たちで、努力を試みたけれど、

壁があるまま、らしい。

 

だったら具体的になんなのさ、と聞いてみたこともある。

そうしたら、ブスッとした顔で、

「感覚的なものだからよくわからない」

という答えが返ってきた。

 

具体的な要求が分からないのに、努力のしようがないじゃないか、

と思って、モヤモヤしたことが何度あっただろう。

 

「なんでそんなに距離をとるんだよ」と、キレ気味の口調で言われたときは、

その人との連絡手段をすべて断ってしまった。

そんなヤバめの人が、過去に2人だけいた。

あんた、他人とどこまで一体化したいんだよ。

なんだかなぁ、と思ってしまった。

 

えっと、つまり。

壁を感じる、と機嫌が悪くなる人が一定数いるらしいのです。

 

壁に対して不機嫌になる方たち

壁ってなんなんだよ。

そもそも壁はあってはいけないものなのか?

と思えてくる。

 

そういう人たちの、言動の端々を観察していると、結束意識が強そうである。

独占欲とか所有欲とか。そういう結びつきに対する欲。

仲良しグループの子が、たった1日だけ別の子と遊んだら、

機嫌を損ねてそれ以来、”はぶんちょ”にするようなタイプだったんだろうな、

という感じ。

仲のいい部下にはやりやすい仕事を回して、

繋がりの外側にいるようなタイプの部下には、面倒な仕事ばかりを投げるとか。

 

そういうタイプの人たちは、ストーブみたいな暖かさがあるけれど、

一度何か踏み間違えようものなら、とても冷たい物をあてがわれそうで、

恐ろしさを感じてしまう。

むしろ壁があったほうがいいように思える。

 

やっぱり壁は欲しい。

「壁を感じる」と言われ、不機嫌になられたことがあったので、

近づこうと試みたことがある。

しかし、私自身の不器用さもあいまって、

キレられたり、凄まじいカウンターを食らってへこんだことがある。

そんなへまをしてきて、思うのは。

壁はあってもいいと思う、(壁は欲しい)ということである。

不器用な人間には、壁は大事なものなのである。

 

その相手からしたら、感情をぶつけたりして、

打ち解けたつもりだったのかもしれないけれど。

通常運転のコミュニケーションの手法だったのかもしれないけれど。

痛いものは痛い。こちらはただの打ち身である。むち打ちである。

無理になくす必要はないのではないか、と思うようになった。

 

マナーやら、敬語尊敬語謙譲語、暗黙の了解とかのよくわからない

空気の文化が腐るほど発達しているのに。

加えて、上記の人たちは、他人のそういう一挙手一投足に人一倍敏感だったり、

事細かに見ているのに。

どうして、わざわざ踏み込んだり、ぶつかろうとするのか、そういう手法を取ろうとするのか。

不思議に見える。不思議。

元気のある人たちだな、と思う。エネルギーが有り余ってるのかもしれない。

ちょっとうらやましいかもしれない。

 

ストーブの例えに戻るけれど。

壁があれば、温かさの恩恵もないけれど、やけどの心配もない。

冷たいこんにゃくを、首筋にあてられる心配もない。

反対に、こちらの飛沫や聞き苦しい恨み節も、相手にかかることもない。

壁があれば、打ち身になることもない。

 

「壁を感じる」と不機嫌に言ってくるような人とは、

まあ単純に相性が悪いのだと思う。

悪い人たちではないけれど。

なのに、そういう人とやたら縁が多いのも不思議なものである。

 

不気味がられようが、不機嫌になられようが、

壁はあって越したことはないと思ってしまう。

一方で、こういう「壁」の意識を破れる日が来たら、

それはそれで新鮮かもしれないと思っている自分も、数ミリだけいる。

 

壁を感じると言われて、なんだかもっとこう、

壁を増設したくなってしまったのが先日のこと。

どうでもいいことを考えてしまったなぁ。

今日も絶賛不適合~