たびより日常(仮)

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ゴッホ展 行ってきた。 義兄のためにそこまでできるか?

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ある展覧会で販売されているグッズが欲しいと、頼まれていました。

会場に行ってみると、欠品中の張り紙が。

こちらはいったん延期して。

とりあえず、近くで開催中で、ちょっと気になっていた、”ゴッホ展”に行ってきました。

 

開催概要

2025年9月12日~2025年12月21日、

東京都美術館にて、ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢が開催中。

ゴッホ展

ファン・ゴッホ家のファミリーコレクションに焦点を当てた展覧会。

日本においては、この切り口でのゴッホの展覧会は、はじめてのものらしいです。

 

展示の内容

ゴッホの弟テオは、兄を生涯支えたことで有名。

しかし、ゴッホの死の半年後、テオも逝去。

画家ヴィンセント・ファン・ゴッホの作品を、世の中に広めていったのは、

弟テオの妻(要は、義妹)ヨーだったとのこと。

作品を管理して、貸し出して、出版して、と奔走し、

生涯を、義兄(ゴッホ)の作品を世に出すために捧げたのだとか。

 

作品を売った時の、ノート(家計簿?)なども展示されていました。

 

なんかいいなぁと思った展示

・『雪のパリ』(ポール・ゴーガン)1894年。

ゴッホじゃないけど。

雪のもそもそした雰囲気が、好き。

左下のおばあちゃんっぽい人の服が、綺麗な青で

朝の新しい空気の匂いと重なる感じがするところとか。

(おばあちゃんなのか、朝なのか、なんも知らんけど。)

 

・『木底の革靴』(フィンセント・ファン・ゴッホ)1889年

ゴッホだー。みたいな感じのタッチ。

農村の暮らしの、ほっこりした感じ。かわいい。

 

イマーシブコーナーにて

大きい画面なので綺麗。

 

感想。

義兄のためにそこまでできるか?

「弟、無償の愛で支えて偉いな、凄いな」、とばかり思ってしまって、

じゃあ、どうして、売れなかったゴッホの作品がここまで、世間に広まったのか

ということまで、興味を抱かなかった私。

義妹さんのおかげの部分も大きかったと、初めて知りまして。

非常に勉強になりました。

 

 

血がつながっていても、希薄な家族も多いわけで。

特に金が絡むと、なかなか難しいもの。

生前テオは、兄のために資金的な支援をしていたわけですから、

その妻ヨーは、複雑な思いもあったのではないかとも思うのです。

それでも、義兄のために、そこまでしたのか、と感嘆。

 

作品から、なにか感じ取るものがあったのかしら、等々

彼女を突き動かしたものは何だったのだろう、とか。

もっとファン・ゴッホ家について知りたくなりました。

イマーシブコーナーにて

 

”~らしさ”を、どこから感じ取っているのだろう。

展示を見て歩いていると、周りの来場者たちが

「これとかゴッホらしいね。」

「あ、これゴッホらしいわ。」

 

という会話をしているのが、

あちらこちらから、ちらほら聞こえてきました。

こっそり、会話元のカップルの前にある展示のほうを、

振り向いてみます。

たしかに。

ゴッホといえば、みたいな特徴的なタッチや、色使いの作品。

 

確かに、と思いながら、

”●●らしさ”とかって、なんなんだろうって考えてしまいました。

個性的なタッチや、配色が”~らしさ”になるのか、といえば

多分、そうとも限らない。

だって、写真みたいな絵を描く、諏訪敦さんや山口英紀さんの作品をみた時にも、

諏訪さんらしい、山口さんらしいな、と思ってしまうからです。

 

もし、そっくりの作風の作品だけが、並べられていたら、

”らしさ”を感じ取ることができるのか、と想像すると怪しいところです。

 

素人の私は、たぶん

特徴的なタッチと、作者の物語性と、目にする頻度の多さが、重なって

”~らしい”とか言ってる部分が大きいのかもしれないなぁ、

と、思いました。

 

プロの人たちは、それを超えて鑑賞したり、価値をつけたりしているのかしら。

どこから”~らしさ”を感じ取っているのだろう。

と気になりだしてしまいました。

 

素人で”~らしさ”はよくわからないけれど、

なんともいえぬ”存在感”のある作品でした。